福島家庭裁判所会津若松支部 昭和42年(少ハ)2号 決定 1967年12月01日
本人 K・N(昭二二・一〇・一六生)
主文
同人を昭和四四年四月一五日まで特別少年院に継続して収容する。
理由
一 申請の要旨
同人は昭和四一年二月一〇日福島家庭裁判所会津若松支部でぐ犯保護事件により中等少年院送致の決定を受け同月一一日東北少年院に収容されたが、逃走等の反則事故を繰り返したので同少年院での処遇不適として種別変更され、同年六月九日盛岡少年院(特別少年院)に移送収容され、同四二年一〇月一六日二〇歳に達したものであるが、同人は同少年院に収容されてからも、院内の規律に服さず暴行、喧嘩、逃走等の反則事故を繰り返し、院内成績は極度に不良であつて現在教育処遇の段階は同院収容当時の三級にとどまり、同人の性格ならびに処遇経過に鑑み、その犯罪的傾向を矯正させるためには、なお相当長期にわたる院内教育に服させる必要がある。したがつて現段階において同院を退院させることは極めて不適当であるから、少年院法一一条二項によつて収容継続の決定を求める。
二 当裁判所の判断
(一) 収容継続の必要
イ 同人は地方公務員の父K・Kの長男として生まれたが、父母とも共稼ぎであり、かつ父は勤務上別居生活をしていたため祖母の手で甘やかされて育てられ、溺愛の生育過程をたどつて我儘かつ自己中心的ないわぼ小児的性格が形成され、小、中学校在学当時は格別の非行も認められなかつたが、高校中退後は転職を繰り返し、不良グループにも接近し、放縦な生活を続けるうちに遊興費欲しさなどから非行を犯すに至り、昭和四〇年六月二四日当裁判所において傷害、恐喝保護事件により保護観察に付せられたのであるが、その後運送会社に就職して一時小康を得たもののまもなく退職してからは、ふたたび素行に乱れを生じ、堅実な職にもつかず無断外泊を続け、かつ不良仲間と交際し、遊興費に費消するため家財を持ち出し、母親に金銭をせびる始末であつて、そのぐ犯性は顕著なものと認められたため、同四一年二月一〇日当裁判所において中等少年院送致の決定を受け、同月一一日東北少年院に収容され、同年六月九日種別変更によつて盛岡少年院(特別少年院)に移送収容されるに至り、同四二年一〇月一六日二〇歳に達し、その収容期間が終了すべきものであつた。
ロ しかしながら、同人は、東北少年院入院当初院内の規律に服さず、自傷行為(謹慎三日)、逃走(謹慎二〇日)職員暴行逃走未遂(謹慎二〇日)の反則事故を惹起し、処遇段階を降下され、結局は中等少年院での処遇不適として特別少年院に種別変更されて、盛岡少年院に移送されるに至つたが、いぜん改過の気配もなく、喧嘩(謹慎一〇日)、暴行(謹慎一五日)のほか二度にわたる逃走(謹慎各二〇日)の反則事故を繰り返し、かつ在院成績も芳しくなく、現在に至るもその処遇段階は同院入院当時の三級にとどまる状況にある。(なお同人は前記逃走の際犯した自動車窃盗の事件で同四二年一〇月二六日盛岡地方裁判所に起訴され、翌二七日勾留され現在盛岡少年刑務所に身体を拘束され公判手続が進行中であつて、この間なんらの教育も施されていない。)
ハ 以上の反則事故を含めての同人の院内での態度ならびに逃走の過程における犯罪に徴して同人の犯罪的傾向はいまだ矯正されたものとは認め難く、むしろ助長の傾向すら看取されるのであつて、保護者には引き受け意思が認められるとはいえ、保護体制の充分確立したものとは認め難い現状を考え合わせて、いまただちに同人を退院させることは同人の更生にかえつてそぐわない結果を招来するものと思われ、なお相当長期間にわたる同院での矯正教育が必要である。
(二) 収容継続の期間
そこでつぎに収容継続の期間について検討してみると、同人は現在過去の反則事故について一応反省の態度を示しているとはいえ、これは逃走して同院に連れ戻されて日浅く、かつ公判手続進行中という特殊な状況下での一時的なものとも考えられ、今後一挙に安定して院内での教育に馴染むものとは即断できない。むしろまず個別指導を通じて同人の心情の安定を図り、しかして更生への意欲を醸成させて後、同院での矯正教育を実効あらしめるためには、相当長期の期間が必要であり、申請期間(二年間)も故なしとしないが、同人は東北少年院に入院して以来すでに一年八ヵ月の長期にわたり院内生活を送つていることから、今後さらに長期間収容を継続させることは同人の性格から見て、その更生意欲を減退させることにもなりかねないものと考え、諸般の状況に鑑み、この際その期間を昭和四四年四月一五日までとするのが適切と考える。
よつて少年院法一一条四項を適用して主文のとおり決定する。
(裁判官 武藤冬士己)